廃墟サイトの国

今となっては廃墟となってしまったサイトを紹介します

日本にはディズニーより前に「夢の国」があった

 

ドリームランド・メモリーズ

http://members.jcom.home.ne.jp/dream41830/dreamindex.htm

 

サイト内容:テーマパーク施設「横浜ドリームランド」のファンサイト

開設日:2002年3月1日

最終更新:2007年1月21日

 

 昨年、秋から冬にかけて「甘城ブリリアントパーク」というアニメが放送された。賀東招二原作の人気ライトノベルシリーズを原作とした本作は、経営難によって廃園寸前に追い詰められた巨大テーマパーク・甘城ブリリアントパークを、ひとりの男子高校生と妖精達が再建するという設定なのだが、ラノベ原作アニメといえば特に特徴のない脱力系主人公が量産型の美少女たちとハーレムするか、量産型の美少女たちが西洋やら現代やらでドンパチするかといった作品ばかりで辟易していた中で、非常に我の強い主人公があの手この手でトラブルを解決していく本作は、時に笑えて時に緊張感を与えられる、とても面白い作品だった。ドラマ化してもいい線いけるのではないか、と思う。

 しかし、衰退した娯楽施設の再建は現実問題で考えて非常に難しい。不景気の煽りもあって昨今は家族と遊ぶにもデートを知るにも近場で安く済ませましょうという風潮が強く、娯楽も多様性が進む中で、やたら遠くてお金もかかり、何かと騒がしく少子化も進む現代で時代とズレた巨大テーマパークの閉園は後を絶たない。昨年はユニバーサル・スタジオ・ジャパンに新しく出来たアミューズメント「ウィーザーディングワールドオブハリーポッター」の大盛況ぶりや、一度は経営破綻に追い込まれた長崎ハウステンボスの復活など明るいニュースが記憶に新しいところだが、そもそもコンテンツ力や資本力の桁が違う前者はともかく、後者のような復活は奇跡と言ってもいいだろう。

 僕は横浜に引っ越して今年で七年目になるが、横浜にはかつて「横浜ドリームランド(以下横ドリ)」というテーマパークがあったことをずいぶん長く知らなかった。東京ディズニーランドの開園より19年も早い1964年に、「日本のディズニーランドを作る」という理念のもとで「夢の国」というコンセプトをまんま名称に拝借して開園した横ドリは、高度経済成長期の中で一定の支持を集めたものの、開園当初からの経営圧迫材料だったアクセスの悪さ、創園者の死去後に事業主体である日本ドリーム観光で起きた経営権争いの泥沼化、また本家TDN開園後は根こそぎ客を奪われ次第に衰退の一途を辿り、一時期はダイエーに身売りをして糊口をしのぐなどしたが、結局再建の道を見いだせぬまま2002年に閉園。38年の歴史に幕をおろした。

 晩年の横ドリの廃れ具合を画像で見るならこちらこちらがオススメなのだが、今回は横ドリの最も華やいでいた瞬間を切り取っているサイトを紹介したい。

「ドリームランド・メモリーズ」は横ドリの閉園直後にファンの手によって開設された、横ドリの輝かしき思い出を写真などと共に紹介しているサイトである。ページを開くと早速目に飛び込んでくる、横ドリ公式キャラクター「ドリくん」「ランちゃん」の最後の挨拶が涙を誘う。どうやら横ドリは64年の開業時に眠りについた子供達の夢の中に出てきた存在であり、02年の閉園と同時に子供達は長い眠りから目覚めたとの設定のようだ。夢の国という名前だけあってその存在は夢オチだったようだが、浦島太郎にもほどがあるような気がする。

 「思い出の横浜ドリームランド」では、横ドリ全盛期のチケットやパンフレットなどの画像が掲載されていて、ファン垂涎の充実度である。昭和41年に開催された「横浜ドリームランド大防衛博」という、戦後復興真っ只中でに過去の悪しき思い出を揺り起こすようなイベントでは、これまたぶっとんだデザインをした実物の巨大ミサイルや戦車などが展示されていたり、当時の首相であった佐藤栄作がコメントを寄せていたりと時代の寛容さを感じ取ることができる。

 しかしなんといっても注目してほしいのは「結晶」で紹介されている日本ドリーム観光の社内報「結晶」の画像である。昭和42年頃に刊行されたこの社内報、黛ジュンによるショーの写真や日ドリ社員のエピソード、高度経済成長に賑わう横浜を盛り上げたホテルエンパイアの完成やモノレールの開業など、わずか数面の間にも時代の息吹を感じる味わい深い情報が満載なのだ。

 このサイト、04年に一度更新停止してるものの。06年に再開。しかし07年を最後に更新が止まっている。横ドリ自体が終わってしまった、新しいものが供給されないコンテンツなので、それを紹介するサイトもいつかは終わるのが宿命なのかもしれない(別に更新停止を表明しているわけではないのだが)。

 ちなみに横ドリには兄弟分の奈良ドリームランドという施設もあり、こちらは横ドリよりも3年早い61年に開業。しかしこちらも2006年には閉園し、45年という横ドリよりちょっと長い生涯を閉じた。「奈良ドリ」の現在はといえば様々な問題が残る土地に買い手がつかず、遊戯施設などを残したまま廃墟状態にある。



 兵どもが夢の跡。今後のテーマパーク業界は時代の変化とどのように折り合いをつけて歩んでいくのか目が離せないところだ。ちなみに管理人が好きなテーマパークは1000円近くするクロミの具なしカレーが美味しいサンリオピューロランドである。

 

 

古畑任三郎には幻のレギュラーキャラがいた

 

古畑任三郎 事件ファイル

http://homepage3.nifty.com/furuhata/index.html

 

サイト内容:TVドラマ「古畑任三郎」シリーズのデータベースサイト

開設時期:2006年頃

最終更新:2008年頃

 

 新年早々、フジテレビで古畑任三郎第三シリーズの再放送が始まったので楽しく観ている。説明の必要は無いかもしれないが「古畑任三郎」は三谷幸喜脚本・田村正和主演のTVドラマであり、海外の名作ドラマ「刑事コロンボ」シリーズにオマージュを捧げた、日本では珍しい「倒叙形式」のミステリードラマである。主人公・古畑任三郎の魅力的なキャラクター、犯人を演じる豪華俳優陣、三谷幸喜による完成度の高い脚本と独特の演出で話題を呼び、1994年から始まり2006年に「FINAL」が作られるまでの12年間に渡り放送された人気シリーズとなった。

 古畑任三郎 事件ファイル」はそんな「古畑」に関する膨大な量のデータが掲載されているファンサイトである。スタッフやキャスト、スピンオフ作品含む全エピソードの紹介はもちろんのこと、ギャラリーのページではポスターの貴重な画像を拝むことも出来る。またThat's  another storyのページには管理人による考察やトリビアも掲載されており、「幻のレギュラーキャラの存在」「未撮影エピソード」の話なども拝見できる。詳細はリンク先を追っていただきたい。古畑任三郎と対峙する勝新太郎伊丹十三、観たかった……。

 安定した人気を誇っていた「古畑任三郎」が完結を迎えた理由として、田村正和と西村雅彦の不仲などが囁かれていたが、「古畑任三郎FINAL」の公式サイト(PC版は消滅しているがなぜか携帯サイトは残っている。こっちのほうがはるかに廃墟サイトっぽい)内での田村正和のインタビューを見るところ、あくまで推測の粋を出ないが、田村の体力的な問題三谷幸喜イデアの枯渇などが原因だと思われる。それもそのはず田村正和ももう70代。新作を撮るにしても現役の警部補として出演するには歳を重ねすぎている。古畑というキャラ自体、第三シーズン時点で設定年齢は推定55歳頃なのだ。

 僕もスピンオフの「今泉慎太郎」以外は全話観ているほど好きなドラマだ。特に好きなエピソードは先に再放送されたばかりの第三シーズン「灰色の村」である。古畑の推理はもちろんのこと、窮地に立たされた今泉の面白さ、犯人達の切実さ、ラストの後味などいずれも一級の仕上がりだ。なお「古畑~」関連のドラマが最後に制作されたのは、2008年放送のスピンオフ作品「古畑中学生」である。田村正和は出演していない。この方法で「古畑高校生」「ヤング古畑任三郎」「巡査古畑任三郎」と某サラリーマンのように年齢別の続編を作っていけば、あるいは……。

 

 

地雷ZERO・未来へ踏み出す一歩のために

TBS50周年特別企画「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」

http://www.tbs.co.jp/zero/

 

サイト内容:TBSの特別番組公式サイト及び企画キャンペーンサイト

開設:2001年2月27日

最終更新:2001年12月23日

 

 1997年12月、対人地雷禁止条約(オタワ条約)の条文が作成され、162カ国が署名している。現在、世界中に埋められている対人地雷の数は約一億個、年間で約二万五千人が被害にあっているという。被害者のほとんどは戦線に赴く兵士ではなく、地雷埋没地域で生活する普通の人々だ。風力で動く地雷除去装置などといった細心の技術を駆使してその除去が欠かさず行われているが、完全な除去を終えるには千年かかると言われている。

 兵士から一般市民までを無差別に襲いかかり、埋没地域に長年の影響を及ぼし続ける対人地雷。爆発によって敵兵が即死しないように爆破力を調整しているのだという。負傷兵を運ばせることによって敵兵力の減少を促すためのようだが、結果、被害にあった者は死にきれず凄絶な苦痛を味わい続ける。悪魔の発明としか言い様がない。

 「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」は2001年4月30日にTBS開局50周年記念特番として放送された特別番組である。司会は今は亡き筑紫哲也菅野美穂。主な番組内容はチャリティCDの制作場面、寄付の呼びかけ、地雷廃絶運動や地雷被害者達にまつわる映像、地雷除去現場の生放送、国内外著名人などのメッセージなど。「世界同時生合唱」なる必要性の見えない企画もあるが、世界に送るべき痛切なメッセージが込められたいたって真面目な番組である。

 この企画を中心に作られた公式テーマソングでもある「ZERO LANDMINE」にも触れておきたい。企画の趣旨に賛同した坂本龍一の呼びかけによって集まった国内外のアーティストによって結成されたユニットN.M.Lが歌うこの曲は、CDや著作権収入などの売上が全額、NGOの地雷除去運動に充てがわれている。ミスチル桜井、TAKUROGLAY)、UA佐野元春細野晴臣、ドリカム、その他豪華アーティストの面々が参加した「ZERO ~」のCDはオリコン週間シングルチャートで二週連続の一位を記録。現時点で59万枚を売り上げている。

 サイト内では視聴者からの感想メッセージが掲載されており、実際の地雷除去活動を拝めるムービーが用意されている。また、「ZERO~」参加アーティストの演奏風景や各界著名人からのメッセージもムービーで観ることが出来る。安定のReal playerだったので観ることができなかったが、その力の入れようからはTBSの本気が伺える。ビデオ問題で大きな過ちを犯した過去はあったにせよ、「報道のTBS」の面目躍如というべきか。

 なお、番組公式サイトとしての運営は01年で停止しているが、地雷除去キャンペーンサイトとしての運用は現在も継続して行われている。寄付を募る活動はもちろんのこと、キャンペーン委員会の活動報告を除いてみると、現時点では2014年3月までの収支報告がきっちりと掲載されている。2013年の収益は17万円であり、「ZERO~」の著作権収入が12万円ほど。番組は終わっているがその理念は失われておらず、僕達もまた失ってはならない。

 

ZERO LANDMINE

ZERO LANDMINE

 

 

楽しんで食べる人が大好きである

 

テラめし倶楽部

http://www.geocities.jp/zzr_1100c22004/contents_terameshi_club_top.html

 

サイト内容:テラめし(ボリュームの多い食事)のレポート

開設:2005年頃(06年にトップページを改装)

最終更新:2011年3月頃

 

 テレビ東京の人気番組『TVチャンピオン』の企画である『全国大食い選手権』は所謂「大食い番組」の嚆矢となった。01年にTBSの『フードバトルクラブ』が小林尊などといったスター性のある出場者を輩出すると、彼等は「フードファイター」などと呼ばれるようになり、そのブームは頂点を極め大食いをテーマにしたTVドラマまで作られた。しかし、02年に彼等の真似をした男子中学生が給食のパンを喉につまらせ死亡する事故が起きたことにより、各局が大食い番組の放送を自粛。ブームは急速に沈静化することになる。

 自分自身、食事に恵まれた家庭で育っていないからか、楽しそうに食べる人が大好きである。食べられなくなるよりは食べられる方がずっといい。しかし僕個人としては大食い番組というのがあまり好きではない。必要以上に食べてそれを競って見世物にする、という部分に露悪的な品の無さを感じる。食べるだけならいいのだが競うのがよろしくない。どこかに「もったいない」と言う気持ちがあるのか。そういう芸が昔からあることはわかっているけれど、はたして何度もテレビで放送する必要はあるのだろうか、と思う。

 今回紹介する「テラめし倶楽部」は管理人が北は北海道から南は福岡まで、日本全国の「テラめし」、つまりはボリュームが極端に多い食事を食べて、写真付きでレポートするサイトである。ネット大食漢は御用達の著名なサイトなのだが、2010年12月に名古屋で特盛りのスパゲッティを食べて以来、更新を停止している。

 その戦歴は輝かしく、05年の最初の挑戦から11年まで約6年間で、巡った「テラめし」の数は約451回。これだけで成年男子の半生分のカロリーは摂取しているような気がする。難易度別のカテゴリで一番簡単な「入門編」で紹介されている代々木の日替わり定食ですらこのボリューム。最も難易度の高い「極悪凶暴」で紹介されている新宿のビーフカレーなんてこの有り様だ。食の暴力である。

 レポートの内容はその文才も手伝い、仔細まで長々と書き込まれていてかつ絵文字や文字拡大などを多用していても、グイグイと読み手を惹きつける。過去に挑戦したメニューも、食べたらそれっきりではなくその後どうなったのか調べているらしく(あるいはサイトを見て挑戦した人からのリークもあったのか)、すでに提供を終了した店に関してもきちんと記載するなど細かな配慮も忘れていない。食事は大胆だがサイト運営は繊細なようだ。

 サイト自体が高い知名度を誇っているため、多数のメディアにも紹介・出演されていたようだ。07年には先述の『TVチャンピオン』にも出場しており、こちらではあくまで食べる側ではなく、デカ盛りに関する知識を要求される側で参加している。多数のコンテンツが用意されていて見ていて飽きないサイトだが、このテラめし倶楽部、そもそもは管理人のツーリング趣味を主にしたサイト「マエダンゴの部屋」のコンテンツのひとつでしかなく、テラめしのために日本全国を駆け回れたのもこの趣味が手伝ったのかもしれない。この「マエダンゴの部屋」も2011年3月17日に更新を停止している。あの東日本大震災から六日後のことだ。何か心変わりでもあったのだろうかと思うが、そもそも「テラめし倶楽部」の更新停止からわずか八日後のことなのだからあまり関係はないかもしれない。

 先に申したように僕は、何かをより多く早く食べることを誰かと競うというのは嫌いだ。食べるというのは他人を楽しませるものではなく。自分が楽しむためのものだと思っている。その上で言うなれば、「テラめし倶楽部」の管理人は自分と競って食べていた。誰かから報酬や褒美がもらえるわけでもない。自分が楽しむためである。多くても少なくても、楽しんで食べる人が僕は大好きだ。今後「テラめし倶楽部」が再開するかどうかはわからないが、健康面には充分ご留意願いたいものである。

 

デカ盛り!!グルメガイド

デカ盛り!!グルメガイド

 

 

日本にファンクの風を吹き込んだ陽気な二人

 

FUNK THE PEANUTS

http://dreamscometrue.com/FUN-P/

 

サイト内容:「FUNK THE PEANUTS」公式サイト

開設:不明

最終更新:2005年8月23日

 

 DREAMS COME TRUE(以下、ドリカム)は1989年にシングル「あなたに会いたくて」でデビューした。翌年リリースされた5thシングル「笑顔の行方」のスマッシュヒットをきっかけに「決戦は金曜日」「サンキュ.」「LOVE LOVE LOVE」をなどのメガヒット曲を連発して大ブレイク。楽曲のクオリティの高さに吉田美和の歌唱力も相まって、CDバブルに湧いた90年代中盤、セールス面でのキャリアは頂点を極めた。デビュー25周年を迎えた2014年現在もコンスタントにヒットを放ち、長きに渡り熱い支持を受け続ける音楽グループである。

 1995年は年間オリコンシングルチャート中に、ミリオンヒットシングルが28枚も並んだCD最盛期だ。ドリカムもまた自身最大のヒットとなる「LOVE~」をリリースした年なのだが、何かの戯れなのか一流ならではの冒険心なのか、ドリカムからの派生ユニットであるFUNK THE PEANUTS(以下、FUN-P)はそんな95年に鳴り物入りでデビューを果たした。

 ドリカムや久保田利伸などのコンサートでバックコーラスをこなし、舞台女優としても活躍する歌手・浦嶋りんこことRINと、吉田美和ことMIWAの二人で構成されたFUN-Pは95年、「恋の罠しかけましょ ~FUNK THE PEANUTSのテーマ~」でデビュー。人気絶頂期だったドリカムからの派生であった追い風も受けて、オリコン週間5位のヒットとなった。その後、99年までに四枚のシングルをリリース。02年にドリカムのライブに出演以降には表立った活動をせず、現在に至る。

 圧倒的な歌唱力を持つ二人の女性ボーカリストが、ノリの良いリズムとファンクサウンドに乗って、吉田美和の作詞した、ドリカム時より何本かネジが外れたような歌詞を歌う。聴いていて心が盛り上がるような曲ばかりだ。タイトルや歌詞中にグループ名が差し込まれるのが特徴である。事実上のラストシングルとなった「you go girl!」ではROBIN CLARKという黒人女性をゲストボーカルに迎え、ファンクではなくR&B寄りのサウンドで、普段の陽気なノリを封印して歌っている。現在、日本のヒットチャートに本格的なファンクサウンドを送り込んでいるのはスガシカオぐらいなので、女性ミュージシャンが見当たらないことを考えるとFUN-Pの路線変更は少しせつない。

 肝心のサイトなのだが、簡単な経歴とディスコグラフィーが記載されている以外はこれといった特徴がない。05年にはデビュー10周年を記念した特設サイトが期間限定で開かれたようだが、PVが観られる、壁紙がダウンロードできるといった具合であり、先述のようにFUN-P自体は02年以降の表立った活動はない。サイト中にはドリカム専用のウェブストア『DCTSTORE』へのリンクが貼られているが、ドリカムの名前を冠してはいてもドリカムとは関係のないミュージシャンのグッズ販売も兼ねている。

 そんなFUN-Pも来年でデビュー20周年である。ドリカムファンの中には再び、二人がパフォーマンスを披露する姿を期待している人も少なくないのではないだろうか。そのときは今回紹介したサイトが再び動くのか、特設サイトが開くのか、はたまた何もないのかはわからないが期待して待とう。最後に余談だが、吉田美和のソロ活動専用サイトは09年以降の更新がない。

 

ATTACK25 (初回限定盤)(DVD付)

ATTACK25 (初回限定盤)(DVD付)

 

 

半世紀以上活動する日本最大の同人サークル

 

SG企画

http://www5d.biglobe.ne.jp/~azumi/sg-kikaku/

 

サイト内容:漫画同人グループ「作画グループ」の出版会社サイト

開設:2000年8月20日

最終更新:2010年3月15日

 

 日本に於ける同人誌の歴史は長く、かつては俳句・詩・創作小説などと言った文芸同人が主流であり、その文芸同人は60~70年代に隆盛を極めた後、衰退していった。一方で後発の漫画同人のほうはといえば、第二次世界大戦後の漫画文化の興隆に伴って生まれ、コミックマーケットなどの即売会の存在によって根付き、今に至る。

作画グループは1962年に結成された漫画同人グループである。今年で結成52年の超老舗サークルだ。メンバーには『超人ロック』の聖悠紀、『風雲児たち』のみなもと太郎、『多重人格探偵サイコ』の大塚英志、『スーパーマリオくん』の沢田ユキオ、『ゴッドハンド輝』の山本航輝など錚々たる面子が揃っている。漫画家が同人誌を発行することは昔から何も珍しいことではないのだが、名のある者達が一同に介するということも今となってはなかなか無い。

 主な活動内容としては会員たちのオリジナル作品を持ち寄って作った同人誌を売る、というどこにでもある普通のサークルであるが、聖悠紀のブレイクによって入会者が殺到し、一時期は1000人を超えるなどとても同人サークルとは思えぬ会員数がいたらしく、それに伴って活動内容も拡大されたようだ。そうなると入会条件は結構ザルだったのだろうか。漫画家じゃなくても入会できたのかは謎である。

 『SG企画』とは「作画グループ」が立ち上げた出版会社だ。肝心のサイト内容だが、「作画グループ」として新刊を発行するといった能動的な活動は現在休止中らしく、主に既刊やグッズの通信販売を行っており、上記のサイトから購入できる。その豪華なラインナップはもちろんのこと、注目すべきは在庫の余り具合である。言い方は悪いが結構売れ残っている。最古のものでは1979年発行の3号から買える。今から35年前の同人誌となると歴史的にも価値が有るようなないような、しかし裏表紙を聖悠紀が務めるファン垂涎の一冊である。

 更新が停止しているのはやはり「作画グループ」としての表立った活動そのものがないからだろう。昨今は電子書籍でも通販を行っているらしく、サイトが動いていないところを見ると活動の主軸はそこに移ったというよりは、通販とは違い自分達で商品を発送する手間がはぶける(サイトを放置していてもいい)といった理由かもしれない。

 今後、「作画グループ」が同人誌を発行することはあるのだろうか。既刊の情報を見ていると、一年に一冊の刊行ペースなどは珍しくなく、最新号は二年ぶり、その前の号は三年ぶりというスローペースである。現在、101号を最後に新刊の発行は四年ほど停止している。新たな活動を待ち焦がれているファンも少なく無いだろう。興味のある漫画家、特に新進気鋭の漫画家はその門を叩いてみてはどうだろうか。

 

コミックマーケット 87 カタログ

コミックマーケット 87 カタログ

 

 

かつてTOKIOには「本気の偽者」がいた

 

鉄骨!DASH!

http://www.ntv.co.jp/dash/tetsuwan_new/situmon/tekkotsu/

サイト内容:テレビ番組「鉄骨!DASH!!」公式サイト

開設:99年頃

最終更新:00年頃

 

 ザ!鉄腕!DASH!!は95年から日本テレビで放送されている人気番組である。レギュラーであるTOKIOはこの番組で無人島の開拓、畑作りから始める農業や家一軒を本格的に建築したりといった挑戦を始め、放送開始から19年目となった現在ではそのアイドルらしからぬスキルと本気度を視聴者に認められ、ジャニーズのメンバーとしては珍しくネット上でも男女問わずに高い評判を集める人気グループとなった。

 上記の「鉄骨!DASH!!」はそんな「ザ!鉄腕!DASH!!」の本格的なパロディとして99年から00年にかけて木更津ケーブルテレビ(現:ジェイコム千葉)にて放送されたバラエティ番組である。

 レギュラー陣も本家のTOKIOをもじったTOKIQというグループだった。本家のメンバーに似た者達を集めて結成されたらしいのだが画像を見ても分かるように、ローカルのケーブルテレビであることを差し引いてもお粗末な仕上がりである。長瀬のそっくりさんがミャンマー人であったり、太一のそっくりさんが女性であったり、松岡のそっくりさんが子供であったり、そもそもそんなに似ていなかったり。

 しかし、肝心の番組の内容はお粗末どころか、いちローカルケーブルテレビのコンテンツとは思えないほど本格的な作りである。番組開始当初、「鉄腕」のほうはメンバーが若かったということもあり、肉体を駆使した体当たり的な企画が多かったのだが、この「鉄骨」はその当時の内容に沿ったパロディなので、当然そういった企画が多い。TOKIQはおそろく素人の寄せ集めなのに。

 サイトの作りは過去の挑戦を画像付きで紹介しているだけのいたってシンプルなものなのだが、豊富な画像と詳細な情報から、その熱気や質の高さが伺える。渡米するニセ長瀬を見送るために、木更津駅から成田空港まで300歩で辿り着けるかといったように、思わず視聴者の涙をさそうような企画もあったようだ。サイト内ではニセ長瀬の半生が申し訳程度に記されている。

 番組は本家からの公認を得たようで、番組後期では本家との交流も多く見られたようだ。異例の事態である。お粗末に作られた番組であったなら、きっと日本テレビから忠告を受けて世間に知られることなく消滅していただろう。スタッフとキャストの本気が生んだ奇跡である。本気を出して人々を魅了するところまで、本家を再現していたのだ。

「これからの予定チャレンジ」の項目にも、どこまで実践できたのかわからないが期待値が高そうな企画が目白押しである。「貯金ゼロから三年で鎌倉に家を建てられるか」といったように、本家におけるDASH島のような長いスパンをかけた挑戦も検討されていたようだ。

 しかし、番組はわずか1年ほどで終了した。TOKIQのメンバーも以降の消息はわからない。ローカルのケーブルテレビ番組でも本気を出せばこのくらいできるんだぞということを示したその勇姿は、テレビ離れが叫ばれる昨今、見習うべき部分も多い気がしなくもない。

 このサイト、なぜか日本テレビのサーバー上に置かれているうえ削除もされていないので、番組から黒歴史の扱いは受けてないようだ。忘れ去られているだけかもしれないが。